【林田の経歴】

 


 

【小学校、中学校時代】
小学校1年生の時に
近所のヤンキーの2つ上の方に

「遊びに行くぞ」

と無理やり誘われ、
行った先が何とサッカー部の
練習。

 

即座に入部せざるを
得なくなりました。

 

 

練習中に雨が降った日は、

『「神様、仏様、どうか雨を
  やませて下さい」と言い続けろ』

と、
その怖い兄さんに言われ、
小学校3年の時から
ドロドロのグラウンドで
土下座させられながら、
「」内のセリフを言い続けてましたw

 

 

 

そんな楽しい経験もありw、

どういう訳か、
小学校6年時にはキャプテン。

 

 

県の選抜にも選ばれ、
調子に乗りまくってました。

 

調子に乗ったまま中学校でも
サッカーを続け、
ろくな練習もしないのに
中学校でもキャプテン。

 

 

 
中学2年の時に性格が急変。

リーダーシップを発揮する
タイプだったのが、

急激にネクラに。

 

 
「自分ってどうなんだろか」

と、中学2年ながらに考え
人前に出る事がイヤになる。

 

廊下の端っこを歩いている
中学生でした。

 

 

でも幸いにも、ヤンキーの友達が
たまたま多かったので、

「コンフォートゾーン」で
中学校を過ごしていました。
(無被害)

 

 

そんでもって、
惰性で中3でキャプテン。
練習はマトモにしてないので
選抜チームたるものとは無縁。

 

 
オマケに、
中学校3年の時、怒りに任せて
後輩の顔面を蹴ってしまい、

何とその後輩のお父さんが
ソッチの筋の方(ガビーン)。

 
その日自宅に戻ると、
父親に殴られまくりました。
「お前、何したんじゃ!」

「ワシが土下座で誤りに
 行ってきたんだぞ!」

 
うわ、、、マジか…

 

家に電話が掛かってきたそうです。

 

 

 
その中3の時、他にも、、、

「林田がイジメを働いてる」

と言う、半分でっち上げの
話がサッカー部顧問に伝わり、

「林田、お前を含めて、
 明日、全員丸坊主にして来い」

 
キャプテンである僕が悪戯を働いた
(と言う事になり)ので、

僕のせいでサッカー部全員が
突然の丸坊主になる事件が勃発。

 

 

まあ、半分は本当です。
仕方ありません。

 

 

と言う、
後輩から恨まれまくりであった
中学校時代でした。

 

 


 

【高校、大学】

 

高校の進学は迷いました。

 

僕は公立の高校に行こうと
していましたが、

両親が「サッカーもっと頑張れ」と
言ってくれ、

結局はサッカーの強い高校(私立)に
行きました。

 

 

 

私立は金持ちが多い。

 

 

僕が中学卒業前に父親が
会社員から独立し、

ちょうどバブル全盛期でした。

 

父親とそれを支えていた母と
バブルのお陰で
私立の高校に。

 

 

 

中学校の時はサッカーが上手い子が
いなかったのですが、

さすがサッカーの強い高校。

 

周りは上手い人ばかりで、
僕が高校1年生の時にはなんと、

僕の高校から
「和歌山県選抜」の人が11人も!

 

ウチの高校がそのまんま国体に
出たらいいやん、と言う状態でした。

 

 

そんなこんなで、高校3年の時には

「チャーチャーチャチャチャチャー♬」
でおなじみの、

全国高校サッカー選手権(お正月)に
出る事が出来ました。

 

ま、初戦敗退です。。。

 

 

高校の時は1クラス50人に対し、
女の子は4~5名。

ほぼ男子校の状態です。

 

 

そして入った、関西外国語大学。

 

女の子7:3男

と言う、ハーレムです。

 

 

そしてご想像の通り、
「勉強」と言うキーワードは
大学の4年間では全く頭から
飛んでしまっていました。

 


 

【社会人】

 

社会人になってからは
とっても大きな挫折が数々ありました。

 

書ききれないので、
会った方には直接お話します。

 

 

以下、ポイントを纏めます。

 

 

転職が、、、
今指で数えたら、
多分6回です。

 

 

究極の飽き性で、
何をやっても続かない状態でした。

 

そして、

「3年退職プログラム」

が自分の中で作動していました。

 

 

3年を超えた勤務は
最後の外資メーカーのみです。

 

 

その最後の外資メーカーでは
色々と勉強させてもらいながら
約10年勤めました。

 

 

今まで「感覚値」でやってた事が、

「言語化する事による行動の精度の違い」

を教えてもらいました。

 

 

僕は営業マンでしたが、

・オープニング
・リード
・ミラー
・〇〇〇〇
・〇〇〇〇

と、

営業のアプローチ方法を
12コ以上に細分化して
全て「言語化」して営業手法を
教えてもらったのは衝撃でした。

 

 

やがて関西から名古屋に転勤。

その1年半後には東京に転勤。

 

 

そして、東京本社において
マネージャーに昇格。

マネジメントスキルを
同様に「言語化」して学びました。

 

 

家庭を顧みずに土日祝も働き続け、
結果、元奥さんに見切りを付けられ
離婚がこの頃です。

 

 


 

【独立】

 

子供と会う事さえ出来なくなり、

「何の為に生きているのか…」

と毎日自問自答していました。

 

 

「よく分からないけど、
 サラリーマンの延長上には
 自分の未来は無い」

と言う事だけは確信し、退職。

 

 

独立して何をするのかも決めずに
退職しました。

 

 

そしてとある仕事を始めました。

 

ノウハウも何も、
商売の基本も分かってなかったので

「とりあえずFCにでも入ろう」

と入る事に。

 

「やり方を学ばなければ」と
当時は思っていました。

 

 

 

先方もおられる事なので
具体的には言えませんが、

開業初年度内にこのFCを辞め
初年度でマイナス8ケタ記録を出す。

 

 

 

一日中家でこもっている日も
多くなり、

「うつ、ってこんな感じなのかな」

と思いながら、

人と目を合わす事さえも怖くて
下を向きながら歩いていました。

 

 

 

この時、
今までお世話になったとある人と
再び会う事に。

 

 

涙が何度も出る位のサポートを
して頂きました。

 

 

 

 

その周りの方からの意見を素直に
聞いていた中で、

「自分には何が足りないのか?」

が見えてきました。

 

 

 

それは単純に、
収益を上げる仕組みが無い、

言い換えると、

マーケティングの知識が乏しいと
考え、

そこからマーケティングを
「最初は自分の為だけ」に
学んでいました。

 

 

 

そして新たな自分の道を見つけ、
(今の仕事)

最初は販促物代行業務と言う事から
始める事になりました。

 

 

最初はひたすら飛び込み営業。
1日に30~50件程訪問。

 

 

貯金は初年度で使い果たしましたが、
貯金がある時に先に銀行にお金を
借りていたので、

そのお金で必死に生きていました。

 

 

昼間は人に会う事、
夜はひたすらマーケティング教材で
勉強の毎日。

 

半年以上、受験勉強以上の勉強を
していたと思います。
(学び吸収能力が低いため)

 

 

 

「最初は無料でいいのでさせて下さい」

と飛び込み営業で仕事を少しずつ
獲得出来ました。
(無料でもなかなか困難でした)

 

最初はハッタリも含めながら
仕事をしていたのは正直な所です汗

 

 

 

「あれでスゴイ成果出たよ」

と言う声を頂く機会が増えてきて、

「この道を究める!」と
さらにマーケティングの勉強を
続けました。

 

 

まあ、ビックリな事なのですが、

飛び込み営業からコンサルティングに
繋がる案件がいくつか出てきました。

 

 

コンサルティングなんかやった事も無い。

 

でも、お客さんが求めているなら
やらない理由は無い。

 

 

「仕事は全て、お客さんから発生する」

コレを体感しました。

 

 

 

仕事は獲得出来る様にはなりました。

 

 

そして、自分の為だけに学んでいた
マーケティングを他の方に提供し、

・お客さん
・クライアントさん
・自分

と言う、3方良しという体験をし、

キレイな言葉過ぎるかもしれませんが、

「提供していきたい」

と心から思える様になりました。

 

 

自分の為に学んでいたものを
他の方に提供する喜びを得た瞬間です。

 

 

 

 

 

しかし、その後、、、

「究極の違和感」

を覚える機会が多く出てきました。

 

 

自分はマーケティングのノウハウを
提供する仕事。

にもかかわらず、

「成果が出ない」

事が出てきたのです。

 

 

 

理由は分かりました。

「依存心」です。

 

教えるという事を提供しても
行動に移さない方が幾分か
おられたのです。

 

 

 

学びたいと思っていても
それを実践しなければもちろん
成果にはつながりません。

 

 

気が付けば、
僕はメールマガジンにおいても

「ノウハウ」ばかりを伝えてたので、

ノウハウが欲しい人たちが僕に対し
興味を示してくれていました。

 

 

この時に定めた自分の定義は、

「一生懸命頑張っている、、、~な経営者さん」

と言う事が僕のクライアントさんの
大前提である事、です。

 

 

そして同時に、
マーケティングだけでは無く、
「動けるマインド」を提供しようと
心に決めたのがこの頃です。

(依存心の高い方とはお付き合いは
 してはいませんが)

 

 

色んな方と接する事によって
自分のセルフイメージ(対象顧客像)が
変化していきました。

 

経験あってこそです。

 

 

 

今はメルマガでも自分が伝えたい事を
書いているだけなので、

価値観を共にしてくれる方々が
メルマガをご覧頂いています。

 

 

 

ココで書きすぎると、
いざセミナーでの自己紹介において
話す事が無くなりますのでw、

これ位にしておきます。

 

 

 

ただ、

「言語化」については経験の中でも
大きな影響をもらいました。

 

 

セールススキル、マーケティング、
目標も、セルフイメージも、
ビジョン、ミッションも、
日々の違和感も、、、

全部言語化する事によって
問題を解消して来れました。

 

 

 

と言う話でした。

 

もっと詳しくお知りになりたい方は
僕のセミナーにもお越し下さいませ。

 

 

と言う宣伝で締めくくりたいと
思います。

 

 

 

ただ、気が付けば、
いつも周りの人に助けてもらってました。

 

特に印象的なのは、
開業初年度からの立ち上がりの時です。

 

 

「どうやってお返ししたらいいですか?」

と、
今までお世話になった事を何とか
お返しをしたいと、とある方に言ったとき、

 

「俺に返さなくてもいい」

「これからの人に提供してあげて」

と言われ、号泣です。

(ペイフォワード実体験)

 

 

僕は僕だからこそ助ける事が
出来る人が必ずいる。

 

 

そう信じ、日々笑顔で仕事しています。

 

 

 

 

社会人になってすぐに

「身内、友達を裏切る行為」

をし、

周りから誰一人いなくなった時が
ありました。

 

この様などん底経験をする事で
有り難さが強く理解出来ます。

 

 

 

 

でも、結局は人に助けられている人生。

 

人への感謝は忘れません。